時雨の系譜 2003/05 時雨の系譜1 時雨るるや不惑をすぎてなお惑い 心太 時雨の系譜というのは自嘲の系譜 宗祇 芭蕉 ・・・・ 山頭火 そして 笹まで流れてる。 宗祇の前にも万葉、古今にも時雨は歌われているが 世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇 この句の意味は年をとっても旅から旅への私に無情の雨だという意味だが 宗祇は連歌の指導で京−越後を再三往復。箱根の湯本で没したのは81才だっ た。 宗祇終焉の記を弟子の宗長が書いている。連歌一途の最後であった。 (宗祇終焉の記 俳諧ライブラリーにすでに加えてある) 宿れとは御身いかなるひと時雨 宗因 この句 いかなる人と一時雨をかけているが、宿れと声をかけたのは宗祇とい う趣向であろう。 宿借りて名を名乗らす時雨かな 芭蕉 なんと時雨の宿、宗祇に声かけられ宗因が、そのあと新参者でございますが と芭蕉が入ってきたようではないか 芭蕉には時雨の句が多い。 だが時雨を詠まぬ時雨の句が、芭蕉の転機を示す重要な句として知られてい る。 それについてはまたあとで しぐるるや我も古人の夜に似たる 蕪村 蕪村も仲間入り。時雨をききながら古人の詩心に浸っている。 通天やしぐれやどりの俳諧師 川端茅舎 通天とは通天閣のことでもあろうが、天に通ず 私もやっとしぐれのやどり で、敬愛する俳諧師の仲間になれた。気持ちが天に通じたのかと茅舎  はしゃいでいる。 こうみてくるとわかるだろうが、これらの時雨の句は、俳人が俳人として自覚 し宗祇、芭蕉の流れに連なろうとしたものだろう。時雨倶楽部である。 時雨るるや不惑をすぎてなお惑い 心太 心太、時雨倶楽部の門をたたきながら、足がすくんだようだ。 時雨の系譜2 よく知られている。芭蕉の時雨のない時雨の句 手づからわび笠をはりて 世にふるもさらに宗祇の宿りかな 芭蕉 宗祇の宿りで下の句を包含した形になっている。 世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇 季語のない無季の句。思い切ったことをするものだ。 この形に落ち着く前に 手づから侘笠をはりて 世にふるもさらに宗祇のしぐれかな 芭蕉 これだと宗祇が時雨に遇した。あるいは宗祇が遇したような時雨に芭蕉が遇し たとでも いうことになる。では上の句、もう一度読み直してみると宗祇に遭遇して宿っ たと読める。 そうこの句、芭蕉の談林風からの離脱、宗祇回帰への意思を示したものといわ れる。 芭蕉は貞門の季吟を師とし出発したが、宗因の江戸下向にあわせて、江戸談林 に参加した。 世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇 宿れとは御身いかなるひと時雨  宗因 宿借りて名を名乗らす時雨かな  芭蕉 その談林のしがらみをふりはらって 世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇 世にふるもさらに宗祇の宿りかな 芭蕉 「手づからわび笠をはりてと」芭蕉の自嘲であり決意であった。 このとき芭蕉数えの四十歳、 不惑である。 こう流れを書くとすっきりするのだが、実は宿借りての句の ほうが新しくて芭蕉の48,9歳の句。長い前書きで宿の亭主の求めに応じて とある。 このころもし宗因がいなければ、貞徳の涎をねぶっていたような句が横行して いた と談林を再評価しているから、この句、談林に接した時の思いが反映している のだろう。 もう一句、いや二句 芭蕉の自嘲といわれる句がある。 時雨の系譜 3 時雨と冬の句の話ばかりしていたから夏の句を。 馬ぽくぽく我をゑに見る夏野哉 芭蕉 天和三年江戸の大火事で焼け出された 芭蕉は甲斐の門弟の所に身を寄せる。 この句にいたるまで三句ほど変形が あるがそのうち 甲斐の郡内という所に到る途中の苦吟 夏馬ぽくぽく我を絵に見るこころ哉 苦吟と言っても洒脱、最終句は 実際に絵を書いてくれた人もいて自嘲を客観化した。 これについて芭蕉自身?の寸評めいた ものを下記に書いた。何故「?」はご笑覧あれ。 http://chiba.cool.ne.jp/teganuma/gin/200206/sasa206.html さて芭蕉の時雨をもう一句 神無月の初め、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して  旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉 笈の小文巻頭を飾る句である。 馬ぽくぽく我をゑに見る夏野哉  旅人と我名よばれん初しぐれ  この2句をしっかり睨んでおいてほしい。山頭火の時雨れにつながる。 時雨の系譜 4 まずこの句 しぐるるや死なないでゐる 山頭火 世にふるもさらに時雨の宿りかな 宗祇 の現代版、自由律版とでも言おうか時雨倶楽部 入会の句。 自嘲 うしろすがたのしぐれてゆくか 山頭火 このうしろすがたは誰か、自嘲であるから山頭火自身。 だが誰も旅人と呼んでくれぬ寂しさがにじむ。 この句、芭蕉風にすると 後姿の我を絵に見る時雨かな   しぐれてゆくかという使い方はめづらしいが、時雨の中に消えていくというこ とだろう。 空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地してを戯画したともいえる。 山頭火について自由律のやさしい言葉のせいか「情」の人と見られがちだが むしろ理の人。芭蕉の句について緻密な解釈をしている。 荻原井泉水の主張。  自由律俳句は芭蕉の俳句の「道」をおしすすめたものである (芭蕉・蕪 村・子規) 彼の弟子である山頭火が実践した。同時に井泉水を超え 芭蕉に直結したともいえる。時雨の系譜において。 時雨の系譜 了